大辺境伯コンラートⅠ世
ヴェッティン伯爵、マイセン・ラウジッツ辺境伯
コンラートが出生した頃、ヨーロッパはキリスト教の深い熱狂的な
宗教世界に染まっていました。十字軍、異端審問、宗教裁判・・・
しかし中産階級である市民や手工業組合ツンフトの誕生もまたこの
11世紀の歴史上の重要な出来事でした。
長い禁固生活の後、いくつかの幸運も手伝ってコンラートは解放さ
れ、ドイツ皇帝に仕える封建領主として彼はマイセン辺境伯の座を
戦いで勝ち取ります。
己を信じる力と政治権力のための優れたバランス感覚により、彼は
ザクセンにおけるヴェッティン家の名を確立し、一族の祖先として
子孫の代に長く君臨する家系の礎石を築きました。
それゆえ、ドレスデン王宮に飾られた「侯爵の行進」のはじめに彼
が登場することは当然ともいえるでしょう。
コンラートの齢が60に近づいたとき、彼は世界権力の座を諦め、
ペテルスブルク修道院の使徒修道士となりますが、この時からおよそ
2ヵ月後にはこの世を去っています。